|
Error processing SSI file
|
|
|
|
>
>
タジキスタン共和国
国名:
|
タジキスタン共和国
|
Republic of Tajikistan
|
地域:
|
欧州(NIS諸国を含む)
|
国際電話国番号:
|
992
|
言語:
|
公用語はタジク語(イランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語などとともにイラン語派の西方方言群に属する。現在タジク共和国で使用されているタジク語北西方言は、ウズベク語などテュルク諸語との接触により文法や語彙の面で大きな影響を受けている)。ロシア語も広く使われている。
|
日本との時差:
|
-4時間
|
人口:
|
690万人(2006年初め:CIS統計委員会)
|
面積:
|
14万3,100平方キロメートル(我が国の約40%)(出典:CIS統計委員会)
|
歴史/略史:
|
紀元前4世紀
アレクサンドロス大王により制圧
紀元前250頃
グレコ・バクトリア王国成立
1−3世紀
クシャーン朝による支配
6世紀中頃−
テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる
7世紀
ソグド人の活動が最盛期に
8世紀以降
アラブ勢力の侵入、土着のイラン系住民がイスラーム教を受容。テュルク系諸民族がこれらイラン系住民をタジクと呼ぶようになる
9世紀後半 −10世紀
イラン系のサーマーン朝成立(文芸・学問の発展)
13世紀
モンゴル帝国の支配
14世紀後半 −15世紀
ティムール帝国の支配
16世紀
シャイバーン朝の支配
18−19世紀
ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配
1860年代
現在のタジキスタン北部がロシア帝国に併合
1890年代
パミール地方の大部分がロシア帝国に併合
1924年
中央アジアの民族・共和国境界画定により、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内にタジク自治ソヴィエト社会主義共和国が成立
1929年
ウズベク共和国から分離し、タジク・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1990年2月
ドゥシャンベ事件(アルメニア難民移住への抗議行動を契機とする騒乱事件)
1990年8月23日
共和国主権宣言
1991年8月31日
国名を「タジキスタン共和国」に変更
1991年9月9日
共和国独立宣言 1992年5月
タジキスタン内戦状態に
1992年11月19日
ラフモノフ最高会議議長就任
1994年11月6日
ラフモノフ大統領選出
1997年6月27日
タジキスタン内戦の最終和平合意成立
1999年11月7日
ラフモノフ大統領再選
2006年11月6日
ラフモノフ大統領再選
|
その他:
|
タジク人64.9%、ウズベク人25.0%、ロシア人3.5%、他(2005年:CIS統計委員会) タジク人の中ではイスラム教スンニー派が最も優勢。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い。
|
|
|
|
|